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Twitterは文化人フォロー中心の別アカが落ち着く

  • Ruoyu Gao
  • 2017年9月2日
  • 読了時間: 2分

明日は9月3日、ツイッターでインペリアル関連の書き込みを見るとしんどくなっちゃうだろうから

しばらく、閲覧も投稿も控えようとおもう。

例え話だけど、好きなアイドルの結婚に対して戸惑いや動揺があるのは普通かなっておもう。

しかも活動辞めるとなったら余計そうなると思う。ファンはこうだと思う。

ネット上でよく見るんだけど

なにかのファンになると、そのファン同士のコミュニケーションの中で固有の見立てを共有して

強化してしまう傾向がありますよね。

その見立てっていうのが、見方を変えたり、別の情報を加えるとぐるっとひっくり返っちゃうようなものが

非常に多いんです。

また例え話をしますけど、「おそろいの靴を履いていた」

これは事実ですが、「仲良しでシンクロした」のか、あるいは「あてつけでわざと被せてきた」

っていうのは見立てだと思うんです。

後者の見立ては派閥や勢力があるように思わせて対立をあおるために、いろんなジャンルで実際使われてます。

さらに発展すると「わざと被せたのはじつはそっち」みたいに完全に対立構図として分離してしまいます。

何事も意図的とは限らない 何事も対立構図と連動しているとは限らない

もっと別の視点があるんじゃないかなぁ。本当に対立する構図だけで語れるのかなぁ。

だって、ファンは当事者じゃないからさ。

日常を生きる市井の人だし、一般の常識からの目線でいいんじゃないかなって。

対象の人物も日常を生きてる人で、見立てが入り込む余地がないような気がするんだよね。

多分いまの生活では解決できない、当人も自覚してない苦しみを

この有名人にぶつけてるんじゃないか、とおもう書き込みがあります。

部分的な情報しか露出していない有名人の態度や内面をどうしてこんな言葉でこき下ろすの?

と思ってしまうことがあるので、明日以降はタイムラインを見ないほうがいいのでしょう。

有名人の表層だけを揶揄するようなツイートをした私も反省する点があります。

このツイ変だなと思った時に書いたほうがいいのか、書かないほうがいいのか迷ことが多くて、、

結局たいていは書かないのですが。

自分には熱心さが欠けてるので・・・どっちつかずな立ち位置に終わってしまいます。

書き込みは、あくまでもその時のその感じを表現するものだから、

ほかのひとがTwitterやブログの書き込み以外でどう思ってるか、知りたいです。


 
 
 

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